続編です。
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「拝啓 金魚様」-- 櫻(モモ) --
「おまえ、気持ち悪いよ。」
オタクの弟に、気持ち悪いと言われた。私が今まで気を使って言わないであげてきた言葉を、あっさりと口にしてくれた。「おまえ、俺の部屋に勝手に入るなよ。興味なかったくせに、水槽に餌金勝手に入れてんじゃねぇよ。気持ち悪ぃって・・。」手間暇かけて飼育している魚達を鑑賞されることが彼の喜びではないのか。テリトリー侵入者のような扱いだ。確かに、勝手に部屋に入っているのだから、勝手に入るなと言われるのは仕方がないが、気持ち悪いはどうだろう。オタクに気持ち悪いと言われたら、ニキビ顔のお姉さんにエステに勧誘されるような・・・説得力がない。「なんなんだよ、急に魚観たりするようになったじゃん。おまえ結構、魚の魅力にはまってきてるだろ。素直に言えば、観せてやるのに。」侵入者にイラついていたわりに、魚の価値を理解してもらえたことには嬉しそうだった。でも、いちいち上から目線で言うので、可愛くない。
私が初めて餌の金魚を買いに行ってから、弟の水槽には私がアカバシで観ていたちっちゃい恐竜みたいな古代魚が仲間入りしていた。ポリプテルスラプラディという名前らしい。細長く、ナマズの背中に恐竜みたいな突起物がツンツン生えたような姿をしている。その他の古代魚は、シルバーアロワナとタイガーオスカー、単色のとにかくデカいのと、お腹の模様が派手派手しいやつだ。あとは名前がわからない。とにかく変な格好をしている。比較的大きい種類が好きらしく、デカデカと180センチ水槽で弟の愛する子供達は悠々と泳いでいる。決して広くない部屋で、古代魚用の180センチ水槽と、熱帯魚が幾種類と泳ぐ30センチから120センチサイズの水槽が所狭しと並び、餌用の金魚とメダカ用の水槽も完備されている。まるで、ミニアカバシのような光景で、違うところと言えば布団が申し訳なさそうに折りたたまれ、爬虫類がいないことくらいだ。「アカバシとは比較にならない。」と弟は言う。どうか、爬虫類にだけは手を出さないで欲しい、と私は願う。
「おまえ、アカバシたまに行ってるらしいじゃん。」
ふいを突かれ、私は焦った。悪いことはしていないけど、発作的に恥ずかしいと感じていた。
「・・な、なんで知ってるの!?」
ニヤっとオタクが笑った。・・・マジで気持ち悪い。でも、言わないであげた。彼に言うのはリアルすぎる。
「この前、アカバシ行ったらおまえいたから。」・・・見られていた。声くらい掛けてくれたら、と思ったけど、姉弟と知られるのも嫌だしそれで良かったんだ。「桜さんに、おまえのこと聞いたら、最近よく来てますよ。って言ってたし、あれ、俺のねーちゃん、って言っといた。なんか買うなら多分サービスしてくれるぜ。」私が何を買うんだよ、っていうか、バラしちゃったんだね・・・。
「サクラさんて、どの人?」素性がバレたことは諦めるしかない。
「すっげ綺麗な女の人いるだろ?あの人。」
「サクラさんて言うの?桜のサクラ?名前?」
「桜 美花って名前。桜は名字。女優みたいな名前だろ?」
得意そうにオタクが答えた。そんな仲よかったのかと嫉妬のような気持ちがしたが、当然だ。優良飼育で名を知られ、毎週通っている超お得意様なのだから。あのお姉さんは、桜 美花という名前だとわかった。益々、カメレオンに餌を与えている場合じゃないよ、と、また余計なお世話に思ってしまった。
オタクには、神秘の生物達に魅了されているから、という理由以外アカバシへ足を運ぶ理由なんてないのだろうけど、私にはもう一つ理由があった。美しい桜の花びらを宙で掴み取るような・・・叶わない淡い期待であっても、心のどこかで願っていた。
-- 翠(ミドリ) --
「本日の定食」は、鮭カマだった。隣の学生っぽい、髪の毛が伸びて毛先の方だけ金髪になった頭をした男の子が、天ぷら丼を食べていた。ここしばらく天ぷらを食べていないことに気が付いたが、食べたいと思う前にカメレオンの姿が頭に浮かんできた。まだ当分、天丼は食べなくていいや、と思った。天丼を見たせいではないが、帰りに久しぶりにアカバシへ寄った。ここのところ仕事が忙しく、休みは一日中寝ているだけの本当にただの「休み」で消化されていた。思わず、水槽の魚達に「久しぶり。」と挨拶をしてしまいそうだった。変わらぬその形と発色に僕は癒された。いつ来ても、古いタイプの眼鏡をかけた華奢な男性店員が、何がそんなに忙しいのかと思うくらい店内をバタバタしている。実際はそんなに忙しくはないのだろうが、彼はぜんまい仕掛けのような慌しい雰囲気の男だった。この店にはふさわしいタイプではある。店員は、4、5人はいるようだが、常は2人か3人で営業しているようで、眼鏡の男ともう一人、僕が来た時は必ずいる女性店員は、レジの前でオタクみたいな男の子と仲良さそうに喋っていた。長身で、ファッションモデルにでもなれそうなくらい美人な女性だ。オタクとモデルのミスマッチも、「アカバシ」でなら思わずスルーしてしまいそうになる。外では、なかなか見れる光景ではない。彼女の心から楽しそうな笑顔が印象的だった。
熱帯魚を順番にゆっくり眺めながら、おもむろに上着のポケットに手を突っ込んだ。紙が入っていた。アンケート用紙だ。あの日以来ここへ来たのは初めてだった。「金魚ちゃん」は何度か来たのだろうか。爬虫類コーナーへ進みながら、一応彼女がいやしないか確認した。出口付近のアンケートの台で、裏返しに重ねられたポストの中の上の方の何枚かだけをチラチラ覗いてみたが、誰も名前は書いていなかった。ついでに一瞬だけカメレオンを見た。緑の色をしたやつはほとんどいなかった。「補色で変わるわけじゃない、気まぐれで色が変わる。」と友達が言っていたのを思い出しながらそろそろ帰ろうと思い出口に向かうと、レオンのご主人様が僕を見つけて、嬉しそうに駆け寄ってきた。僕が、カメレオンを観にここへ来たのだと思って、興奮気味だった。面倒臭いのでそういうことにしておいた。もうしばらくここで時間を潰すことになりそうだ。
-- 瑠璃(ルリ) --
一週間に一度、店に設置されたアンケートの集計をする。集計というほどたいした仕事ではないが、意見や要望が書かれていることもあるので、チェックして、要望にはなるべく応えられるように努めている。以前に、お姉さんが綺麗でした、なぜここで働いているのか、という内容のアンケートが入っていたことがある。ここで働いているスタッフで、女は私しかいない。だから私のことを言っているのだろうけど、私はその内容にピンとはこなかった。よく、私がカメレオンなどの爬虫類に餌の虫をあげていると、不思議そうに、驚いたような顔でお客さんが私のことを見ている時がある。私は、餌を食べているカメレオンの姿が珍しくて見ているのだと思っていた。店長に、「桜ちゃん目当てで来てるお客さんも多いだろうなぁ。」と言われ、私のファンがたくさんいるということを最近知った。どうりで、カメレオンを見ているはずなのに、やたらと私と目が合うわけだ。でも、そんなに私は目を惹くような人間なのだろうか・・爬虫類や、魚などの生き物が好きで好きでたまらなくて、自分ではなかなか飼えないのでこの職場を選んだ。興味のある世界に足を突っ込んで、仕事にしている、そんなに変わった人生ではないはずだけど。
アンケートに書かれた内容が、わからない時は店長に聞いた。たまに店長も詳しくないほどマニアックな内容の時がある。熱帯魚や、魚類の時は、常連客の中でも群を抜いて知識と飼育の腕に長けた、通称「ハカセ」に聞く。彼は私よりずっと若いが、誰より熱帯魚を愛している素敵な男の子だ。私は、彼と話すのが好きだ。純粋に、熱帯魚や古代魚のためだけにアカバシに通う彼は、爬虫類に餌をあげる私の姿なんて、知りもしないだろう。毎週土曜日にハカセと話すのが私の一番の楽しみだった。前に、一度だけ餌用の金魚を買って帰った女性がいて、この店では見かけない今時のOLさんのような素敵な人だったので、私は印象深くてよく覚えていた。彼女は時々来るようになり、いつも熱帯魚を観ていた。その日も、いつものように熱帯魚を観に来ていた。ハカセの来る土曜日だった。「あの女の人、よく来てんの?」彼女を指差しながら、ハカセの口から女性の話題が出たのは初めてだった。私はドキっとした。ハカセのお姉さんだと知って、色んな意味で驚いたけど、それ以上に、ホっとしている自分がいた。
私は、ハカセにアンケートを見せながら、質問した。何枚かアンケートに目を通しながら、「<金魚>だってさ、センスねぇな。どうせ書くなら、<ディスカス>とかにしたらいいのに。しかも、内容意味わかんねぇし!」と笑った。私のことが書かれたアンケートだった。
ハカセは、「あ、そうだ。」と言って、古代魚の水槽の方へ突然去って行ってしまった。最近、特に気に入って観ている水槽には、オスフロネームスという最大で1メートルになる大型の古代魚の稚魚が泳いでいる。底に敷き詰められた砂や石が時折照明でキラキラ光る。黒というより、濃紺に近い色をした石が宝石のように光り、水槽を見つめるハカセの横顔が眩しく見えた。
-- 視線(ネツ) --
僕は、観たくもない爬虫類コーナーで、レオンと同じカメレオンを観ていた。帰ってレンタルDVDでも観ようと思っていたのに、友達はなかなか解放してくれそうにもない。そっと爬虫類コーナーを離れた。そのまま帰ってしまおうかとも思ったけど、さすがにそこまではできず、熱帯魚コーナーを観るしかなかった。古代魚の水槽の前で、さっきのオタク君が、熱い眼差しで魚を見つめていた。時が止まったかのように彼は夢中で観ていた。どのくらいの時間見つめているのだろうか。カメレオンを見つめる友達よりも鬼気迫るものを感じた。相当好きなのだろう。レジでは、美人の店員さんが、アンケート用紙の束を手に、真剣に読んでいた。僕は、ポケットのアンケートを再び思い出し、罪悪感に駆られ、なんとなく彼らの近くが居づらくなったのでカメレオンの一角に戻ることにした。
その翌々週も僕はアカバシへ行った。この日も眼鏡と美人のシフトだった。今日ここへ来たのは、持ち帰ったアンケートをポストに入れるためだった。やっぱり、勝手に僕が持っているのが忍びなくなり、返そうと思った。三つ折どころか、五つ折くらいに小さく折ってしまったアンケートの紙を広げて、できるだけしわを伸ばした。ヨレヨレになった紙を一応、彼女がしていたように表向きにそのまま置いた。
アンケートを返したら、帰ろうと思っていた。それでもなんとなく熱帯魚コーナーに目が向いた。先々週、オタク君が陣取って観ていた水槽の前にあの娘がいた・・・。
-- 叶(ネン) --
「桜さん」に素性がバレたと知って以来、初めてアカバシへ行った。
店内に入ってすぐに、桜さんと目が合った。お互い自然に会釈をした。桜さんは、心なしか頬が赤くなって照れているような感じがした。やっぱり、魅力的な女(ひと)だと思った。
オタクバカが、次に狙っているのは、オスフロネームスという古代魚らしく、その種の中で、半分くらいの大きさにしかならないレッドフィンオスフロが欲しいのだと言っていたが、目の前の水槽に貼られたネームプレートを読まなくては、そんな名前私はとても覚えられなかった。気が短く、荒々しく、大食漢・・・どこに惹かれたのだろう。水槽の中にいるのはまだ小さい稚魚で、可愛いと思えばそう思えなくもなかったが、餌に泳いでいる金魚の方がよっぽど可愛らしかった。
ふと、隣に人が並んで立っているのに気付いて、私が鑑賞の邪魔をしてるのかもしれないと思い、ちょっとだけ横にずれた。何気なく横にいるその人を見た。
・・・・・
見間違いかと思った。見間違いであってほしいと思った。
「タクミ」だった・・・
正しくは、「アンケートのタクミだったらいいな。」と私が勝手に思っている男(ひと)だった。
ドキドキどころか、心臓はバクバクだった。
逃げたら余計に怪しいので、平静を装い、しばらくその場に立ち、水槽を観ているフリをした。オタクの欲しい魚なんて、もうどうでもよかった。気まずい空気に限界を感じて、この場を離れようと思うが、反対は行き止まりで、逃げるには「タクミ」をよけるしかない・・・。決意して私は動いた。予想より通路が狭く、これだけアカバシへ通っているにも関わらず、目測を誤り、私は「タクミ」にまたもぶつかってしまった。この人が、あの「タクミ」かもわからないし、私とぶつかったことなんて覚えていないかもしれない。でも今回は、事故を装うにも苦しい状況に、私は恥ずかしすぎて謝ることすらできずうつむいていた・・・
聞こえてきた彼の言葉に私は耳を疑う。
「・・・二回目だね。」
私はびっくりして彼の顔を見上げた。
「は、・・はい。・・・ごめんなさい。」
精一杯の返事だった。
彼は穏やかに微笑んでいた。
-- 金魚(ワタシ) --
アンケートを元に戻したことが功を奏したのか、僕は「金魚ちゃん」にまた逢えた。
自分でも意外なほど冷静だった。何も考える暇もなく、気が付くと、僕は彼女の元へと歩んでいた。彼女は全然気付く様子もなく、ついに水槽の前で僕らは並んだ。声を掛けたかったが、どう声を掛けたらいいものか迷った。「金魚さん、ですよね。」と、言いたかったが、彼女が<金魚>というペンネームであることは誰も知らないわけで、そんなことを言えばストーカーだと思われ兼ねない。「よく、来るんですか?」・・・なんとも気の利いた台詞とは思えない。ぐるぐるぐるぐる頭で色んな台詞をシュミレーションしてみるものの、実際に口にできる台詞がなかなか出てくれなかった。棒立ちの二人の静寂を破ったのは彼女の方だった。突然、勢い良く僕にぶつかってきた。前回の再現を彼女がしてくれたのかと思って、笑いそうになった。思わず、
「二回目だね。」と言ってしまった。
彼女は、余裕なさそうに、慌てて僕に謝っていた。前に僕とぶつかったことは覚えていたらしかった。驚きと、恥ずかしさで動揺しているように見えた彼女の表情が何ともいじらしく思えたので、僕も後先考えずに口走っていた。
「・・名前、なんて言うの・・・?」
僕は、金魚のほんとうの名前を知りたくて仕方がなかった。
-- 赤橋(ラヴスポット) --
確かに彼は、「二回目だね。」と言った。
覚えててくれたんだ!!飛び上がるほど嬉しかった。この人の名前が「タクミ」であることは知っているけど、あのアンケートの「タクミ」であるかどうかはわからない。でも、もうどっちでも良かった。その後、いきなり名前を聞かれたのに、動揺していて、私は一生懸命素直に答えた。他にもいくつか質問をされたり会話をしたらしかったが、ほとんど覚えていない。彼への挨拶もろくに、私は出口に向かっていた。後ろから呼び止められ、振り向くと、桜さんだった。彼女は「古代魚・深海魚の不思議展」という展覧会のチケットを私に差し出し、弟に渡して欲しいと頼んできた。観に行きたいが、一緒に付き合ってくれる人がいないから・・と言っていたが、彼女は明らかに顔を赤らめていた。・・・まさか。そんな物好きがいるはずがない。冗談は、カメレオンの餌付けだけにして欲しい・・・私はにわかに信じ難かったが、彼女の瞳は、カメレオンの前で魅せたそれよりも、もっと艶やかだった・・・。
でも今は、他人の事をかまっている余裕がない。
とりあえず、チケットを預かり私は急いで車に乗った。
手には、チケットが一枚と、なぜか名詞が一枚あった。
<広木 匠>
私は、動揺している間に、「タクミ」の連絡先をゲットしていた。ことの成り行きを把握できぬまま、エンジンもかけずにしばらく放心していた。鞄の中でドリカムが鳴った。
『おまえ、アカバシにいるんなら桜さんに、来週レッドフィンオスフロ買いに行くから予約しとくように言っといて』というオタクバカからのメールだった。
レッドなんちゃらよりもっと凄い獲物がわざわざ向こうから寄ってきたというのにこの馬鹿が。
携帯を助手席に置いて、チケットと名詞は鞄にしまい、エンジンをかけた。
電話を掛ける口実が、「アカバシ」のこと以外で浮かばない。
「熱帯魚派ですか、爬虫類派ですか?」
「古代魚に地球の歴史を感じませんか?」
「眼鏡の店員さん、実はハタチらしいですよ!」
「匠さんは・・アンケート書いたことありますか・・・。」
私がアンケートで「金魚」と書いたと言ったら、笑われるかもしれないけど。