-- プロローグ --


彼と目が合った。私のことを見ていた気がする。
水の中で私は見ていた。私がいるのは水の中で、ガラスの向こうは水の世界ではないということを知らずに・・・・









--  緋(アカ)  --


友達に連れられ、「赤橋観魚園」という熱帯魚やら爬虫類やらを売っている店へ来た。パーソンカメレオンというカメレオンを飼っている友達はここでいつも生餌を買いに来ているようで、年齢不詳の縁の太い眼鏡をかけた華奢な男性店員に、いつもの下さい。と当たり前の台詞のように言った。「いつものカクテル」でも出てくるのであれば格好良いが、出てきたのはコオロギ数匹だった。パーソンカメレオンとは、マダガスカル諸島に生息している、カメレオンの中では大きめな種類であると説明してくれた。僕はそいつが飼っているカメレオンを見たことはないが、店内にいる数種類のカメレオンを見ながら、そいつのカメレオンを見た気分になっていた。
「今度、俺のレオン観に来いよ。」
カメレオンからレオンを取ったのか・・有名映画の影響かは知らないが、レオンという名前らしい。「うん、遊びに行くわ。」と僕は答えた。目の前のカメレオンを見ながら、「これと一緒だろ?もう観たし、いいよ・・。」とは言えなかった。
今日は、安くて美味いので流行っている定食屋に昼飯を食いに行ったら、偶然友達に会った。土曜日でお互い休みで、僕が暇だとわかると、じゃぁ連れてってやるよ、とここへ付き合わされた。やつにとってはパラダイスだが、僕は食後に来る所ではないな・・と思いながら、さっき食べた天ぷら丼を必死に思い出さないようにしていた。まるで食後のデザートを楽しむかのような眼差しでガラスケースを見つめる友とできる会話はない。食後の爬虫類は僕には辛いので、移動した。
熱帯魚の水槽が所狭しと並び、さまざまな種類の魚に圧倒された。自然界でこんなにもあでやかで美しい色が生まれるのかと思うと、自然の偉大さを感じた。四角い立方体に区切られ守られた美しい生き物達は、観賞用としてガラスケースの中を泳いでいる。パチンコ店の景品棚のブランド物のバッグを彷彿とさせた。飽きの来ないデザイン、洗練されたフォルム・・・永遠に愛される定番。とでも言ったところだろうか。目的は所詮、人間の満足に過ぎないが、地球の歴史を背負って今を生きているかのような古代魚を観ていると、崇めたくなる。でも、四角いガラス張りの立方体の中では、人間の浅い歴史を強調するかのようで複雑な気持ちにもなった。自然界で・・なんて言ってる時点で、人間のおごりだよなぁ・・と色々考えたけど、考えれば考えるほど、人間って浅はかだな・・と思うのは僕だけだろうか。
熱帯魚のコーナーを過ぎると、レジだった。その近くに生餌用のメダカと金魚がいた。皆、元気いっぱいに泳いでいる。生きる目的を考えたくなる光景だ。幼い頃、祭の露店で獲って帰った金魚をしばらく飼っていたことを思い出した。金魚とはいえ、飼うにはそれなりの設備と世話がいる。何もしなかった僕の金魚は当然死んだ。それから生き物を飼うことはなかった。店内の角の水槽の中で赤い体がチラチラ行き交うのをしばらく眺めた。僕と目が合ったやつもいたかもしれない。









--  蒼(アオ)  --




なぜ、私が買いに行かなくてはいけないのか。


弟に言われた通りの道に私は車を走らせて「赤橋観魚園」へ着いた。熱帯魚オタクの弟に、生餌の金魚を買いに行ってくれと頼まれた。いつも休みの土曜日に餌を買いに行っているのに、今日は急に仕事で呼び出され、どうしても仕事へ行かなければならなくなったと言う。熱帯魚の他に、肉食の古代魚も飼っていて、その餌らしいが、私は休みなので嫌だと言うと、「この子達が死んでもいいのかよ!?・・・おまえが餌を買わなかったせいで、コイツらが・・・どうなってもいいのかょ!!」と訴えていた。私は、「全然、いいよ。」と言ってしまった。つい・・ではない。本音だ。
オタクと言うと弟は怒るが、どの角度から見ても彼は「オタク」だ。「魚の姿形、そのすべてが美しくてたまらない。これがわからないやつはアホだ。」と言っている。「じゃぁ、ほとんど全員アホだね。」と心の中で突っ込む。それなのに、好物は、ブリ照りで、食べる前に魚の神様へのお祈りが始まる。およそ3分間何やらブツブツ唱えだす。家族は皆、見て見ぬ振りをし、呪文が聞こえないように母がテレビのボリュームを上げる。
私しか頼める相手がいないので、弟は必死に「頼むよ・・ねーちゃん、お願いしますわ。」と腰低めバージョンでも頼んできた。あんたさっきおまえ呼ばわりしてたくせに。本当に泣きそうな弟が情けなくなって、本当に泣かれるのも嫌だし、魚が死ぬ前に弟が自殺しそうな勢いだったので仕方なく行ってあげることにした。幼虫とかは嫌だけど、金魚だしいっか・・・と思って。

こんな店があったことも知らなかったけど、弟は毎週通っているらしく、店内に優良飼育者として、弟の名前が書かれた変な魚の写真が貼られていた。「非常に飼育が難しいとされる」と説明書きがあった。魚の神様へのお祈りのおかげだろうか・・とにかく弟の顔が載っていなくて良かったと思った。店内は、四方八方が水槽だらけで、広いんだか狭いんだかわからなかった。水が入っているかいないかの違いくらいで、辺り一面ガラス張りと言ったところだ。水の入っていないほうの一角には近付かないでおこう。私には、爬虫類をペットにする気が知れない。せっかく来たので熱帯魚くらいは観て行こうと思い、熱帯魚のコーナーだけを回った。オレンジや蛍光の黄色、果てはショッキングピンクの色をした魚を見ながら、コイツがショッキングピンクの発祥なんじゃないか、などと真剣に思いながら見回った。弟が飼っているものとは違う、ちっちゃい恐竜みたいな古代魚がいて、それらを眺めながら、異質な空間に神秘的なものを感じ、やつの気持ちもわからなくもないな、と少し思った。隅っこのほうに、メダカや金魚がいる水槽があった。ビジュアルが違うってだけで、高額な投資で設備された環境でヒロインのようにデリケートに扱われるか、ジャポジャポとビニールの袋から適当にダイブさせられパクリ・・・・・頑張って格好良く言えば、演出のための小道具としての運命か・・その差は大きいように思われるが、自然界では当然さ!と彼らは思っているのかも知れない。そもそもそんなこと思いながら生きてはいないだろうけど・・・そんな風に魚の気持ちを想像していると、案外楽しんでいる自分に気付いて、なんだか弟に負けた気がしたので早く金魚を頼んで帰ろうと店員に声をかけた。とてもこの店には似つかわしくない今時風の、美人でスタイルの良い女性だった。私は弟に頼まれた数の金魚を注文すると、「ご用意致します。お待ち下さい。」と笑顔で奥に入っていった。足元の水槽にも金魚が泳いでいた。上から見下ろすように眺めながら、小学校の頃、金魚すくいですくった金魚を飼っていたことを思い出した。あの時から弟は金魚の世話をしていたのだろうか。思い出そうとしたけど、全く覚えていなかった。。
奥からビニール袋に入った金魚を持って出てきたのは、古臭い眼鏡をかけたガリガリの男だった。弟のほうがまだマシだな、と思いながら会計を済ませた。さっきの女性はどこへ行ったんだろうと店内に目を配ると、あり得ない一角で、あり得ない生き物に、これまたあり得ない生餌をピンセットであげていた。愛おしそうなその表情は、私が彼氏の前で見せる顔よりも魅力的かもしれない・・と思った。私ももっと女を磨かなきゃ。そう思わせるくらい素敵だった。
帰り際、出口付近にアンケート用紙が置いてあるのを見つけた。「ご意見、ご感想をお書き下さい。」と書かれていた。滅多にこんなことはしないのに、なぜか書いてみたくなって鉛筆をとった。「店員のお姉さんがキレイでした。どうしてここで働いているんですか?」完全に余計なお世話だ。でも、それくらい素敵だったと伝えたかった。アンケートを入れるポストは、ポストとはとても言えない、いい加減なただの箱で、中身が見えないようにするといった配慮は全くなかった。皆、裏返しか、二つか三つに折って入れていた。私の前に書いた人だけ、堂々と表向きにそのまま置いてあった。「おもしろかったです。」と書かれてあった。無記名が基本のアンケートなのに、なぜか名前の欄が設けられていて、書く人なんていないだろう、と思ったら、前の人は片仮名で「タクミ」と書いていた。仮名かな、と思いながら私もつられて書くことにした。


お名前 「金魚」





店を出て、ビニール袋をぶらさげながら、車に乗り込んだ。
・・・・・さて、どうやって運転しようか・・。

















--  紅藍(ムラサキ)  --





休日に男二人で連れ立って、熱帯魚屋に行くのもいかがなものかと思うが、次の月の休みも僕は熱帯魚を観ていた。
結局、レオンを観に行くのを断りきれずに、来月行くと言ってしまった。友達の部屋で観たレオンは、やっぱりただのカメレオンで、なんと感想を言えばいいのか困った。「可愛いね。」も違うし、「凄いね。」もわざとらしい。「・・・結構、デカいね・・」こんなつまらない台詞しか言えなかった。友達は、意外とあっさり、「そうなんだ。パーソンは、横もデカいんだよ。」と答えてくれた。案外的確な感想を言えていたらしい。レオンと同じ空間で、僕達はコーラを飲みながら話した。レオンの話や、仕事の話、学生時代の話などをして、最終的にレオンの話に戻り、今から赤橋へ行こうということになった。「アカバシ」なんてお洒落スポットみたいに言っているが、マニアなやつにしかわからないだろう。でも残念なことに、今の僕には通用している。








綺麗なお姉さんと、神秘的な空間が妙にはまってしまい、あれから度々熱帯魚を観に行った。お姉さんはいつも真面目に働いていて、私は、アンケート読んでくれたかな、とずっと気になっている。「赤橋観魚園」は地元では老舗のようで、いつも結構人が来ていた。ここは、通称「アカバシ」と呼ばれ、弟みたいな人達には聖域のような場所らしい。「アカバシでさー・・・」と言われても。「あぁ、アカバシねー・・・」とは普通はならない。でも、私もアカバシ系になりつつあるのだろうか・・
私の場合は、観るだけで、買ったことは一度もない。にわかアカバシとでもしておこう。そんなことを思いながら、水槽に視線を送る。ライトに照らし出された姿はなんとも幻想的で現実の嫌なことをひと時でも忘れられる。水槽に見惚れながら進んでいると、いつのまにか爬虫類コーナーとの隣接地点にいることに気付き、慌てて引き返そうと思い切り振り向くと、真後ろに人がいたのを知らずに勢い良くぶつかった。
「・・ぁっ!すみませんっ!」
とっさに謝りながら、上を見上げた。およそ爬虫類や熱帯魚などとは無縁そうな、今時っぽい男性だった。こんな人もこんな店に来たりするんだ・・と一瞬の間で思っていた。なんだか恥ずかしかったので、謝るとすぐに出口の方に向かって走った。逃げたと言った方が近いかもしれない。出口に行くまでに、やっぱり気になって、爬虫類のコーナーをこっそり見た。お連れの方と思われるトカゲみたいな顔をした男の人に「おい、タクミ、これ観てみろよ。」と呼ばれていた。どっかで聞いた名前のような気がした。出口付近のアンケートを見て、思い出した。でもまさか同じ人なわけないと思った。本名なんて普通は書かない。
出る前に、私は2回目のアンケートに答えた。


お名前 「金魚」
ご意見 「いつもこちらの熱帯魚に癒されます。また来ます。」












相変わらず、カメレオンに夢中のレオンの飼い主は爬虫類コーナーに入り浸りだった。僕は、やっぱり熱帯魚を飽きずに眺めていた。すっかり魅了され、居心地の良さすら覚えていた。今日も、古代魚達は時代を飛び越えて、壮大なスケールをガラス越しに僕に見せ付けた。そんな熱帯魚コーナーを廻っていると、僕の前を普通のOL風な女性が歩いていた。彼女は突然勢い良く振り返り、僕にぶつかった。こんなところには絶対にいない類の女性だった。僕より少し若く見えた。彼女はすぐに謝り、僕も「・・すみません。」と謝った。そのまま逃げるように出口の方へ去って行ってしまった。去っていく後姿を目で追いながら、友達に呼ばれたので再び爬虫類コーナーへ戻った。レオンのご主人様を半分無視しながら、さっきの娘がいないか探した。出口付近でアンケートを書いている姿を見つけた。書き終わって出て行くのを見届けると、僕は出口に向かっていた。他人の書いたものを見るような下品なことをする人間ではないつもりだが、興味を持ってしまったらしい。彼女は、堂々と表向きにアンケートを箱に入れていたので、僕は容易に内容を知ることができた。
以前からここへ来ていて、そして今後も来る、とのことらしい。

前に、僕がうっかり本名を書いてしまった名前の欄に、彼女は「金魚」と書いていた。














帰りの車の中で、熱帯魚の余韻なんてそっちのけで思っていた。さっきの人がアンケートの「タクミ」だったらいいなぁ・・って。ドキドキしながら少女マンガのような運命を期待した。現実はそう甘くはないことは知っている。でも、また「アカバシ」で会えたら・・・なんて、マニアックすぎてマンガでも無理があるな・・と思いながらも、しばらくドキドキは消えなかった。















僕は、こっそりその娘のアンケート用紙を適当に折って、ポケットに忍ばせた。なぜだかは自分でもわからないが、まじないの一種みたいな気持ちだった。そのまま熱帯魚のコーナーを素通りして、金魚の水槽の前に立った。





「金魚ちゃんかぁ・・・。」


僕は呟いた。その時、一匹の金魚と目が合った気がした。
金魚を観に、ここへ通うのも悪くないな、と思った。











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