波の音を、君にだけ。
貝殻に耳を押し付ける。波の音が聴こえる。貝殻をあてた方とは反対の耳から・・・
目の前に広がる海を見ながら、波打ち際に突っ立っていた。足元まで波が押し寄せ、波をよけたいのか波に拾われたいのか、どっちつかずの私の足を波は嫌がるかのように避けた。一歩前へ出る。途端に波は私の足をすくい、くるぶし辺りまで覆うと再び遠くへ去って行った。
右手に手にしていた貝殻をできるだけ遠くへ投げた。結構本気で遠投したつもりだったのに、思ったより遠くへ飛んでくれなかった。風のせいか、足元が緩いせいか、グランドだったらもっと飛んだはずだ、と思った。
結局、足を濡らしてしまった。そのつもりもなかったので、当然スニーカーと靴下はぐっしょり濡れて、ジーンズも水を含んでずっしり重い。おまけに歩く度に靴に砂が入り込む。こうなることも想像できていたのに。なぜ、一歩出てしまったのか。
また貝殻を拾う。波のBGMが響く中でもう一度耳へあてた。ピチャっと海水が耳に触れ、ガサガサと鼓膜付近で聴こえる独特の音がする。波の音は相変わらず、反対の耳からよく聴こえた。一体誰が、貝殻で波の音を聴いたのだろう・・・
洗濯機に靴下を放り込み、ジーンズのベルトを外し、ポケットの中身を確認してから脱いだ。拾った二個目の貝殻が入っていた。バスタブに半分ほど溜まったお湯の中へなんとなく入れた。貝殻はそのまま底へ簡単に沈んでいった。蛇口から勢い良く出るお湯はバスタブのへりで強い水流を生み、波打つ。沈みきった貝殻はその場で静止していた。
キュキュッとバスタブと肌が摩擦する音が響く。肩までつかろうと狭いバスタブに体を沈める。あごがつくくらいで止める。底に沈めた指先に貝殻が触れた。静まり返ったバスルームで、ヒュウっと一息吸うと、私は風呂の中に潜った。バスタブが狭くて頭のてっぺんまでは潜れなかったが、今日、海でやり残したことをやれたような気分だった。
風呂から出て、冷蔵庫からビールを取り出しソファに座った。食器棚の上のみかんの入った籠が目に入った。柳行李(やなぎごおり)に小豆を入れて、左右交互に傾けると、小豆の動く音がまるで波の音のように聴こえる・・・昔テレビで観た事があるのを思い出した。おもむろにみかんの入った籠を取り、みかんを出した。代わりに米びつから米を一握り取り、籠に入れた。隙間からパラパラと米が落ちる。それでも左右に動かしてみるが、小さすぎて期待していた音とは程遠いザラザラという物体的な音しか聴こえなかった。とめどなく米が落ち、ザラザラ、パラパラとあられか雨でも降るような音だった。そこらじゅうに散らばった米を掃除機で吸うと、カチカチ、カチャカチャと吸引されて、吸い口や途中の管に米がぶつかる騒がしい音がする。心地良さとは程遠かった。ついでに部屋の掃除もした。久しぶりだったので、埃が溜まっていた。隙間や隅っこのほうを細い口に付け替えて吸引していると、カチャカチャカチャ・・と米を吸った時とは違う何か固いものを吸い上げた音がした。面倒臭いと思いながらも、一応掃除機を開けて、ごみパックの中を覗き込み確認した。失くなったと騒いでいた彼女のピアスの片方だった。
彼女が来る日まで、失くさないように貝殻にピアスを入れて洗面台に置いておいた。ごみパックから出したことは言わずに、「ベッドの下から出てきたよ。」と言うと、とても喜んでいた。なぜ貝殻に入っているのかと驚き、私らしくない、と笑っていた。
「波の音が聴こえそうだろ。」
・・・とは、恥ずかしくて言えなかった。